昨日の第30節の結果に関する話の続きを。
昨日は、橋本英郎&片山義継の話が長くなってしまったが、個人的には両者に関
心があるので、まあ仕方のないところだ。橋本英郎については、いつオシムからお呼
びがかかるかと心待ちにしているのだが・・・。
と書いていると、今日も橋本英郎&片山義継の話だけで終わってしまうので、「泣
いて馬謖を斬る」の思いで、次の話題に。
今節最も話題になった試合は、FC東京−フロンターレということで、大方の同意は
得られるだろう。首位争いをするフロンターレが、49分までに3点をリードしながら、
その後、4点を失って逆転負けするというセンセーショナルな試合内容に加え、その
過程でフロンターレのジュニーニョ、マルコンが退場になり、しかもその退場にかか
わる判定が「不可解」ということで、騒然としたわけだ。
フロンターレの関塚隆監督の記者会見の模様が同日夜のスポーツニュースでも
繰り返し流されるとともに、フロンターレがJリーグに対して意見書を提出する予定
であることも報じられていた。記者会見の全容は知らないが、「普段からジャッジの
基準を想定して練習しているが、それから大きくかけ離れたジャッジをされては、
我々としてはどうしようもない」というような趣旨の発言がなされていたことは、スポ
ーツニュース等の映像から知り得た。
審判が公正なジャッジを行わなければならない、あるいは、百歩譲って、公正な
ジャッジを行うことができるように努力しなかればならないということについては、疑
う余地のない規範的命題と言える。
その際、公正をどのように考えるかというのはそれほど簡単ではない。第一段階
としては、
「1試合を通じて同じ基準で、両チームを同じように裁く。」
という視点があると思う。これは当然のことで、これが実現されないようでは、競技
の公正性が担保されないことになり、スポーツ競技としては由々しき問題というこ
とになる。逆に、仮に非常に厳しい(ないし甘い)ジャッジの基準だったとしても、上
記の点がクリアされていれば、その試合のみに関する限りでは、不公正はないと
いうことになる。また、この点については、審判個人の資質に全面的に依存するた
め、この点で非があったとすれば、その審判個人が批判されるべきということにな
る。
【注:この段落は現在ではなく5年くらい前の状況を想定してもらいたい。】
一方、仮に上記の点がクリアされていたとしても、視野をその試合のみではなく、
リーグ戦などの長期的な複数の試合に広げれば、さらに別の意味での公正の基準
を考えなければいけないということになる。例えば、非常に厳しい基準で
■を出す
審判がいたとする。仮に
K、ではなくKとしておく。すると、Kが降・・・、ではなく主審
を担当した試合では、多くの
■が出され、そのチームの選手は
■の累積で、出場
停止になる可能性が高くなる。これは長期的にはチーム間で同じ競争条件が保た
れていないことを意味する。
そう考えてくると、公正を論じるうえで重要な第2の点が浮かんでくる。それは、
「リーグ内の各審判員の間で、基準が統一されていること」
という点に他ならない。長期間にわたるリーグ戦で、フェアな戦いが展開されるた
めには、こうした点の実現が必要になろう。この点については、仮に実現されてい
なかったとしても、個々の審判員の責任を論じるのはフェアではない。審判員が
個人的に努力しても、どうにかなる問題ではないからだ(ただし、すでに統一的な
基準が形成されている場合には、自らのジャッジを統一基準に近づける努力は必
要だろう)。
FC東京−フロンターレの主審は奥谷彰男だったわけだが、仮に第1の点で問題
があったとすれば、これは奥谷彰男の問題ということになり、批判されるのは止む
を得ない。しかし、問題が第2の点にあったとすれば、すべての責任をその試合を
担当した審判員に帰することはできず、Jリーグや審判委員会、あるいは審判全員
にかかわる、大きな問題ということになる。
翻って、関塚隆監督のコメントを考えると、想定していたジャッジの基準とは大き
く乖離したジャッジを問題視しているわけだから、上記の基準で言えば、第2の点と
いうことになる。もちろん、筆者はこの試合を現場で目撃したわけではないからあ
まり確かなことはいえないが、フロンターレ側からの問題提起が第2の点に関わるの
だとすれば、この試合で主審を務めた奥谷彰男だけではなく、リーグ全体の問題と
して考えなければならないのではないかと思う。
テーマ:Jリーグ - ジャンル:スポーツ
- 2006/11/14(火) 17:28:33|
- 試合結果
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こんにちは。審判について昔から思っていたことが、あるので書かせて頂きます。もっとも野球のことなのですが、最近サッカーにもあてはまるのではと思っています。審判は造るのではなく、育ちあがってくるものとゆう考え方が、日本ではあるのではないでしょうか。審判はボランティア的職業であり、プロの審判は欠員が出たときに補充するといったシステム(審判学校をでても、欠員が出るまで採用されない)では常にレベルの高い審判員不足の現状は解消されないと思います。競輪や競馬の騎手学校といった卒業=プロの審判といった学校が必要なのではないかと思います。そうすることで、ベテラン審判員の経験や知識といったものが後進につたえられるのではないでしょうか。プレーの判断を各審判員の経験や知識にのみ頼っていては、統一した判断は不可能だと思うし、今後も同じような問題がつずくような気がします。もちろん現在も講習会等は行っているのでしょうが、中身の内容が違うような気がします。たとえば、上川氏の審判として優れているところはNHKでも言っていましたが、ボールを追うのではなくプレーを追っているところだとおもいます。それは彼がプレーヤーとしても一流(U-16代表や神戸で行われたユニバードシアードでもFWとして選出されていたはず(間違っていたら御免なさい)また高専時代は高専の全国大会でも優勝(このときのポジションはGK))経験があるからだと思う。また今年のワールドカップで彼の審判としての器量は世界で5本の指に入ることをFIFAが証明したわけで、この知識や経験はぜひ後進の人たちに授業
として教えていって欲しいと思うのです。旨く言えなくて自分でももどかしいのですが、こう思っています。長文で申し訳ありませんでした。
- 2006/11/15(水) 17:58:01 |
- URL |
- 実は幼馴染 #MY6pdzks
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コメントありがとうございます。
日本ではスポーツ自体が文教政策との関係で位置づけられて
いて、地域のクラブよりも学校の部活動として行うという比重が
高いように思います。ゆえに、プロの審判員を除けば、本職が
教員という審判員が多いように思います。
W杯の審判員に選ばれた人たちのプロフィールを見ると、プロの
審判員というのはごくごく少数なので、審判がアマチュアという
のは必ずしも悪いということはないと思うのですが、やはり、審判
の育成、研修に関する確固としたシステムを築くことは必要になる
でしょうね。
- 2006/11/18(土) 12:53:10 |
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- ミハイロビッチ♂ #-
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